『近世写真術』 (1903)


東都写真会から発行された写真術学習書『近世写真術』。
表紙がかなり汚れているので内表紙を掲載。
古書市で3,000円ほどで入手。


 『近世写真術』
   1903(明治36)年5月31日発行、1円
   著作者  金澤 巌
   著作者  加藤精一
   発行者  大木良輔    (東京市日本橋区米澤町1丁目7番地)
   印刷者  多田栄次    (東京市神田区小川町1番地)
   印刷所  合資会社愛善社 (東京市神田区小川町1番地)
   発行所  東都写真会出版部(東京日本橋区米澤町1丁目7番地)


発売所として神保町の東京堂書店が挙げられているほか、特約所として大阪・名古屋の業者が並び、さらに丸善や便利堂など各地の有名店が売捌書肆として掲載されています。おそらく本書は小西本店(後、小西六、現在のコニカミノルタ)のネットワークを通じて全国で販売されたのではないでしょうか。

東都写真会の所在地も小西本店(日本橋区本町2丁目)と目と鼻の先ですし、著者の加藤精一は小西本店と深いつながりのある人物なので、本書には小西本店の名前は出ていませんが、可能性はありそうです。
ただし、本書発行者の大木良輔は大木写真器械部を経営しているため(巻末に広告が掲載されています)、東都写真会と小西本店の関係を理解するには注意が必要かもしれません。
巻末には東都写真会の会則が掲載されているのも注目です。


加藤精一(1882(明治15)〜1950(昭和25)年)は、関東における芸術写真運動の中心的役割を担った人物のひとり。埼玉から14歳で上京した際にカメラを購入したのがきっかけで写真の道に進んだと言われていますが、本書はそれから約七年後、21歳のときに出版されたものです。東京高商(現在の一橋大学)在学中の頃のことでしょうか。
卒業後は小西本店に入社し、『写真月報』(1894(明治27)年創刊)の編集に従事します。


「今日の写真は単に物体の形象を捉写するの技術に非ず、完全なる一の芸術として見るべきものなり、而も今日に至る迄、写真を説明するに芸術の意味を加へたるものは殆んどあらず、加之従来の写真術書は唯機械的に其技術を教へて、写真に関する智識を与ふるものに至ては一も之れ無し、」(p.1)


と断言するように、前編(本書全体の10%程度)では金澤巌が写真術についての総論を、後編では加藤がレンズと絞り、現像、印画法など撮影から印画までの一連のプロセスを解説しています。
実際には技術解説に終始しており、「芸術写真」とは何か、というよりも、こうすれば「芸術写真」が作れる、という「芸術写真技術解説書」の趣です。


この本が出版された翌年、加藤は秋山轍輔らとともに「ゆふつヾ社」を結成、「芸術写真」を明確に志向するようになります。ゆふつヾ社を基礎として1907(明治40)年には東京写真研究会が結成され、1910年以降展覧会「研展」がほぼ毎年開催されるようになりました。ピグメント印画をはじめとした「芸術写真」に欠かせない技法が、この団体を中心に発信されていくことになります。「芸術写真」運動は、小西六の営業販売戦略という側面も無視して語ることはできません。
ちなみに、加藤自身も、1907年の東京勧業博覧会にゴム印画を出展して一等賞金牌を受賞しています。

1915(大正4)年、30代になった加藤は東京美術学校の臨時写真科で教鞭を執り、その後も小西写真専門学校を設立、教授・理事長を務めるなど、写真の教育において大きな足跡を残しました。


なお、もうひとりの著者の金澤巌は、本書では「薬学得業士」と記されており、幻灯に関する著作などを残していますが、写真史上は生没年も不明の謎の人物です。
また、印刷所となっている愛善社は、明治期の同名の出版社がありますが、これも詳しいことはよくわかりません。


ところで、小西六写真工業株式会社の有名な社史『写真とともに百年』(1973)では、ゆふつヾ社は東京写真研究会に「発展的に解消」(同書 p.199)されたことになっていますが、以下のようなケースもあったようです。


秋元家の人々 10代目三左衛門 秋元良尚
http://www.tohkatsu.or.jp/user/kosyou/akimoto/yosimasa/akimoto_yosimasa.htm


これによれば、明治34年頃に写真撮影をしていた流山の秋元良尚は、八木村芝崎(現在の流山市芝崎)の吉野誠と写真を通じて懇ろになり、さらに同好の志を集め、八木村の「木」と、流山町の「山」をとって「木山会」という写真の会を結成したそうです。写真は自盛堂の石版で絵葉書に仕上げられ、流山の土産物としたとされたとか。
この「木山会」は「東都写真会」に加入、東京の写真展にも出品していたようで、こうした人々もいずれは東京写真研究会に「発展的に解消」されていったのでしょうか。


【参考リンク】
コニカミノルタ(写真事業は他社に譲渡) http://konicaminolta.jp/